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熟年離婚、その後。

大地震

大地震がやって来た時、私は事務所にいた。
大きな揺れにすぐTVをつけると
どんどん激しくなる揺れに
その場から動くことができなくなってしまった。

外を見て初めて分かったことだが
ビルの前の大通りには人があふれていた。
狭い中央分離帯にまで避難している人たちもいて
よく見ればうちのテナントさんもたくさんいた。
現在の耐震基準を充たしていないうちのビルでは
それも無理のないことだろう。

その後も大きな揺れはこれでもかと続き
ミシミシ言う事務所では、いてもたってもいられず
私も同僚と外に避難することにした。
けれど歩道に出たところで揺れを感じないわけではなく
逆にユッサユッサと大揺れする
通り沿いのビルたちを見て怖くなった。

地震後は全ての電車が止まった。
どう考えても早々の復旧はないようだ。
私は歩いて帰ることを覚悟し帰宅路を調べた。
迷わず普通に歩ければ3時間というところだった。
方向オンチに夜道とくれば、あるのは不安だけ。
それでも幸いなことに
同じ方面に帰る男性社員が道連れになってくれ
2人で会社をあとにした。
冷たい風が強く吹く寒い夜だった。

すでに道路は大渋滞で
信号が変わってもビタッと止まったまま全く動かない。
もはや1番早い移動手段は自分の足で歩くことだ。

私たちは18時10分、会社を出た。
歩道もまた歩く人々で大混雑。
ものすごい数の人たちが黙々と歩く光景は異様だ。

結果的には2時間ほどで男性の家に到着し
そこから渋滞を避け
裏道で私の家の方向に送ってもらった。
けれど大通りの交差点で全く動かなくなったため
私はそこから再び歩いて帰ることにした。
その後40分、混雑する歩道を歩き続けた私が
無事自宅に到着したのは21時40分のことだった。
会社を出てから3時間半である。

連絡が取れなかった娘とは
歩いている途中でやっと電話がつながり無事を確認。
彼女は旦那の迎えを会社で待っていたのだが
結局大渋滞により自宅へ辿り着いたのは翌朝の6時半。
何と!往復11時間の旅となった。

そして仕事が休みで出ていた息子と連絡が取れたのは
それからさらに後のことであった。
彼は結局、途中の友人宅まで何とか歩き泊めてもらった。

後日分かったことだが
元旦那から子供たちにはすぐにメールが入っていたそうだ。
「無事ですか?」

私が郵送料をかけ手間をかけ
郵便物を転送してやっても何もないくせに
子供たちにはすぐにメールって・・・。
つくづくあの男は何なんだろうと思った。
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by arnulfstr | 2011-03-17 14:15